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2006年11月

2006年11月26日 (日)

A Baby Named Savannah (1) By Jim Jen

これは中国系アメリカ人のJenさんの自伝です。

Jenさんは長らくジョージア州のサバンナに
お住まいでしたが、それも赤ちゃんの命名に
関係したのでしょうか?

Tiananmen Square became a household word here
because of the student discontent around the beginning of June 1989.

Although the tragic event occurred a
generation ago, tourists who now visit
Beijing still link the scenes of tanks
and bloodshed with this historic site.

The portrait of Mao still gazes down on the
square as the nation continues to adhere to
some of his teachings.



I was in Savannah during that period of
turmoil.

I was the President of the Chinese Benevolent Association, an ethnic organization serving
the interests of all Chinese, regardless of
their political views.

We had a cohesive group, comprising of first,
second, and third generation Chinese.

The second or third generation Chinese no
longer knew the language except some broken
Chinese probably grinded into their daily
life, but they had devotion and dedication to
support this organization.

Most of them were shop owners.

In fact, they were the most loyal and
hardworking in our organization.

Often volunteering to do chores the younger generation made excuses to avoid.

The first generation Chinese were immigrants
and newcomers.

The first generation Chinese were people
like myself, who originally came here as a
student.

Most of them were from Taiwan and had settled
down in Savannah because of their jobs.

The newcomers came mostly from China mainland
after the open door policy.

They wanted to have a good time with other
Chinese but shirked from the mundane tasks
and financial responsibilities that came
with our organization.

Sometimes, when conflict of interests and
arguments arose, it required my diplomatic
tact to quell the tense moments.

On the Tiananmen issue, though, there was no controversy among us.

I was able to air the Chinese Benevolent Association's opinion on local television news.

Of course, we were with the students all the way.

We were glued to the television sets everyday
that month, hoping for a miracle to happen.

In the end, we were dejected and disappointed
at the brutal handling of the event by the regime.

Americans were enraged.

Everyday, the front page of the newspaper
detailed the aftermath of the massacre.

Just when everyone's motion was at its peak,
a container ship carrying a married couple
of Chinese descent landed in Savannah.

They were stow-aways without any documentation.

They had hid in a ship compartment when it left Hongkong.

Several days after debarkation, they had appeared before the ship crew begging for food.

Since Savannah was the ship's first port of
call, the captain dutifully handed them over
to the U.S. immigration officers here.

NY TIMESの要約を読んでみよう! Vol.092 ...biz  

音声ファイルを聞く
1週間のご無沙汰です。早いもので今年も
あと1カ月と1週間となりました。

今回は下記の記事の要約です。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■■■ NY Timesの記事 ■■■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

題名: The Best Science Show on Television?

記者: By JOHN SCHWARTZ

発行日: November 21, 2006

URL: http://www.nytimes.com/2006/11/21/science/21myth.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
記事の本文や質問とその回答の音声を聴きたい方は、
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2006年11月24日 (金)

30事件(クーデター)(3) By 南果

◆今回のクーデターには当時ジャカルタで建設中の
アジア大会用スタジアム(Arena)の資材が中国から
送られ、その輸入資材の中に共産党員に譲渡する
武器(Senjata)が入っていたとの噂(Isu)が有り、
その為中国人が憎しみの標的(Sasaran)にされて
いる事も聞きました。

◆中国人と言っても台湾(Taiwan)から来たと言う
人と中国本土からやって来たと言う人が居ます。

◆政治的デマが毎日流れ、「台湾は良いが中国は
悪だ」、しかし中国本土からの人々にはそれなりの
自尊心(Harga diri)があり、出来れば其の立場を
貫きたい、の考えがある様でした。



◆一方、民衆は右か左か、早朝から声高にアジり
ながら大道を右往左往する。

◆中国人の家では台湾=中華民国と中国本土=中華
人民共和国(RRT)の国旗を両方備え、毎日町の
様子(ke-ada-an)を観ては国旗を変えて掲揚すると
言う事態(Situasi)。

◆1週間経ち、ラジオが再開、其れに依ると
9月30日夜、国軍7将軍がインドネシア共産党
(Partai Politok Indonesia=PKI)に拉致され、
PKIの軍事基地、ジャカルタ郊外のルワン・ブアヤで
惨殺されたが、ジャカルタの戦略作戦司令部隊長
スハルト准将(Brigadir jenderal)により鎮圧され、
ジャカルタは平穏を取り戻しつつあるとの事、

しかし報道管制が敷かれている為、ニュースソースは
限られ、詳細は解らない。

◆ホテルには毎日のように軍人、警察官(Polisi)が
武器アラタメの為着剣でやって着ては、荷物を調べる。

◆その際は、嫌がらせをして金をせびる(Minta)
様な事は全く有りませんでした。彼等も真剣に
任務(Tugas)を遂行していたのです。

◆我が社の宿舎(Mess)は以前から1軒屋を契約
していたので、そこに移りました。

◆毎日クーデターの詳報、即ち大量の共産党員
(PKI)に依る軍事訓練(latih-an miiliter)、
7将軍の拉致(Culik)された方法、女子共産党員
(GERWANI)に依る将軍達への惨殺状況、そして、
KOSTRAD(戦略作戦司令部)スハルト准将に依る
PKI軍掃討作戦、共産党撲滅運動(Aksi mem-berantas-an)
のニュース(Berita)が続きます。

◆聞いていて感ずる事は、如何にジャカルタ郊外
とは言えPKI多人数による陸上軍事訓練がどうして
発覚しなかったのか?

◆将軍達はPKIが蜂起することを感じており、それに
先駆け国軍によるPKIせん滅(meng-hancur-kan)を
計画していたにも拘わらず、如何して将軍達個人
個人の防御姿勢に欠点があったのか?

◆彼等はジャカルタ中心地に住んでおり、歩哨も
居るのにどうして、緊急時の縦、横への通報
(meng-hubung-kan)が皆無だったのか?

疑問(Tanda tanya)に感じました。

2006年11月23日 (木)

韓国のビデオ事情 By アジョッシ

一週間ぶりです。

この間、久しぶりに映画館に行ってきました。

よく考えてみると、ほぼ一年ぶりくらい。

やはり家で DVD をみるより迫力があり、つい

集中して見てしまいました。



映画館は高性能のスピーカーが、各所に設置さ

れていて、音を立体的に体感できるから迫力が

あるのでしょうね。

もちろん大画面も理由でしょうが。

さて、皆さんは映画によく行くでしょうか?

アジョッシの場合、学生の頃は本当に好きでした。

ビデオなども含めると、一日に2,3本見るくら

いでした。

よほどやる事がなかったのでしょうね^^

さて、このビデオ。日本では一家に一台は当たり前。

いくら DVD プレイヤーが広まってきたと言っても

、まだまだ需要は多いと思います。

しかし、韓国の場合、ビデオの普及率は余り高くない

ような気がします。

その原因はやはり、コンピュータの普及率にあるので

はないでしょうか。

DVD ならばコンピュータで見ることが可能である上、

インターネット上でも映画の視聴は可能だからです。

日本でも最近は、オンラインレンタルビデオなどが

ありますよね。

しかし、日本の場合すべての面において、オンライン

よりも、オフラインを好む傾向がまだ強い現状。

レンタルビデオはいまだに、強い支持を得ています。

もちろん韓国にもレンタルビデオ店はあります。

しかし商売としてどの程度の売り上げがあるかは、

疑問符がつきそうです。

映画館の利用率で考えると、韓国人の方がよく利用

すると思います。

これも韓国人の性格が一番の原因で、話題作などが

封切されれば、皆が押し寄せるような状況。

ワールドカップの際の、応援団を見ればよくわかり

ますよね。

あの応援団の多くは、サッカーをほとんど見たり、

ルールを知らなかった人だったといいます。

本当に熱い国ですね^^

2006年11月20日 (月)

デザインを替えてみました。

15万アクセスを突破したのを機にデザインを
替えてみました。

皆さんお気づきになられたでしょうか?

ここでちょっとアンケートを取らせて下さい。

2006年11月19日 (日)

NY TIMESの要約を読んでみよう! Vol.091 ...biz

音声ファイルを聞く
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■■■ NY Timesの記事 ■■■
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題名: Taking the Back Roads to Machu Picchu

記者: By PATRICK O'GILFOIL HEALY

発行日: November 12, 2006

URL: http://travel2.nytimes.com/2006/11/12/travel/12machu.html

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今回は質問と回答を掲載します。

【Content Questions/内容についての質問】

1 How many months ahead of time must one make
 a reservation to hike the Inca Trail?

2 Why did the Peruvian government put limits
on the Inca Trail?

3 How are the alternate routes to Machu Picchu
different from the Inca trail?

4 On which of the three routes did the author
go on the trek to Machu Picchu?

5 Why was he disappointed when he reached
Machu Picchu?

【Answers to Content Questions/内容についての質問の正解】

1 One must reserve three months ahead.

2 There were too many tourists and garbage.

3 Along the way you see less Inca ruins and
these routes are cheap and unspoiled.

4 He went on the trek that passes Nevado Salkantay.

5 Having hiked though remote and unspoiled
villages, he was shocked by the amount of
tourists at Machu Picchu.

要約文が見たい方は、下記サイトを見てください。
あわせて登録してくださいね。

【音声付】NY TIMESの要約を読んでみよう!

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要約文の音声が聴きたい方は、下記サイトで聴けます。

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2006年11月17日 (金)

30事件(クーデター)(2)■ By 南果

◆1995年10月1日の昼頃、近くのスカルノ・
ハッタ港(Pelabuhan Sukarno-Hatta)付近で、
連続した発砲音が響き出しました。

◆突然(Tiba2)、軍人(Tentara)がやって来て
「国軍(TNI)海兵隊(KKO)が共産党員(AnggotaPKI)と
撃ち合い(tembak-menembak)をしているので、家に
帰ってくれ」と言う。

◆宿舎のホテルに戻りましたが、ホテルは武装
した(pe-langkap-an)兵隊に囲まれている、事情を
話し部屋に戻り、ゆっくりと隣人(Tetangga)達に
状況を聞く。



◆「クーデター(Kudeta)が起きたらしい、詳しい
(Teliti)事は解らないが安全第一(utama-kan-
ke-selamat-an)を考えて、事情を聴取しましょう」
との事。外には出られず、まんじりと夜明(Fajar)けを
待つ。

◆夜中を通してホテル入り口側と裏の海岸通り側
との間で発砲が続いて居ましたが、肉薄戦には
ならない様子(rupa-nya)。TVの無い時代で唯一の
国営ラジオ(Radio Republik Indonesia) は
「ウントン中佐(Letnan kolonel)とやらがジャカルタを
占拠(men-jajah)した」の放送(Siaran) があっただけで
中断が続いて居る。

◆オーストラリア放送を聴いた人は「将軍(Jenderal)
7人が死んだ(Meningal dunia)、ジャカルタは混沌と
している」それ以降(Sejak itu)、外国からの
放送は妨害音が入り、聞けないとの事。

◆当時、マカッサルの一般家庭(pe-rumah-an umum)
には電話が配線されていませんでした。SSBを備えて
いる企業は未だ(Belum)進出して来ていません。
電話局へ行き連絡を試み(per-coba-an)ましたが、
操作不能(Tidak bias ber-operasi)状態。

◆この国の大きな町、何処にでも中心地(Sentral) に
スクエア広場(Alun2)が有ります。

◆当地マカッサルの広場には中国人金持ちの
乗用車(Sedan)をかり集め、群集が焼いていると
社員の報告(Laporan)。

◆本当なのか、社の車の窓(Jendela)に小さい
日の丸(Bendela Jepang)を張り、Yシャツに
ネクタイ(Dasi)を付けてスクエアに出てみる。

◆暴徒化(men-jadi orang amukan)した群集
(gerombong-an)の険悪な顔(Muka benci)が
右往左往、車を見つけ寄って(dekat-i)来る、中を覗く。
日の丸を見て、怖い顔をしながら躊躇(Bingung)
している。

◆結局(akhir-nya)、何もされずに済んだのですが、
何かのきっかけで、どう成ったか解らない状態でした。
暴徒の一人が、やれ!(Ayo!)とでも声を
出せば餌食(Korban)に成っていたかも知れません。

◆毎日短時間外出できるように成りましたが、
午後6時から翌朝までは戒厳令下です。

2006年11月16日 (木)

15万アクセス突破記念!  …biz

2006年1月8日から始めたこのブログは、
本日午前11時20分現在で、150,700アクセスで、
訪問者数は47,087人になっています。

このブログは9月25日に10万アクセスを
記録しましたが、2ヶ月弱で5万アクセス
増え、訪問者も16000人増えました。
http://blog.kansai.com/global/470

これはブログを書くことを勧めてくださった
HINT(http://www.hint.ne.jp/)の竹村理事長と、
読者の皆様方のお蔭です。

自分のブログのアクセスが増えるとなんだか嬉しく
他のbloggerの人がどんな記事を書いているのかも
気になります。

関西ドットコムでは週間bloggerランキングを
やっていて、偶に自分のブログのランキングを
見たりします。

因みに今日のランキングは55位でした。
http://www.kansai.com/blog/?mode=weekly_blogger_ranking&page=6

このブログはグローバル社会を生きるヒントと
言う題で、仕事のことも多少書いていますが、
主に語学や海外関連のトピックや半ばアメリカ人化
したMarkの感覚で日本のいろんな事象を見た
感想を書いています。

言葉は単なる手段ですが、その手段をうまく
使って日本だけでなく、世界を見て頂ける
ようなブログにしていきたいと思います。

今後とも1日1度は更新していきますので、
1日1度はこのブログにアクセス頂きます様
よろしくお願い申し上げます。

韓国のベッベロDAY By アジョッシ

さて、今日お話するのは“ベッベロDAY”

日本でも、色々な記念日があるのですが、アジョッシ

が知る限りでは、韓国のほうが多いと思います。

特に韓国の若者は、そういった記念日を好む傾向があ

るからです。

この“ベッベロDAY”も歴史はまだ浅く、 10 余年ほ

どで、女子学生たちが始めたのが始まりと言われてい

ます。

では、この“ベッベロDAY”。

一体どんな日なのでしょうか?



まず、この“ベッベロ”とは 実はお菓子の名前。

どういったお菓子かというと、細長いお菓子の表面に

チョコレートをコーティングしたもの。

日本のお菓子でいうと、ポッ○ーみたいなもの。

その姿が数字の1に見えることから、1が続く11月

11日に、そのお菓子を送ることになったのです。

送るのも老若男女関係なく、恋人、友達などを問わず、

友情、感謝、愛を伝えるとともに、そのお菓子の様に

スラッとした、きれいな人になれる事を望み送るとい

います。

若者は色々考えますね^^

The Sun Also Sets at Huangshan (15) By Jim Jen  

中国系アメリカ人のJenさんの自伝です。

今回で中国への旅行記は終わりです。
楽しんで頂けたでしょうか?

中国での食事に気をつけた帰りのUnited
の機内食で食中毒になったのは皮肉ですが、
上海では水が悪いようなので、気をつけたいと
思います。

なお、Markが11月末に上海に行きますので、
その時の旅行記をまた書かせて頂きます。

Leaving Shanghai October 21

Little Chen hailed a taxi into our driveway
for the ease of baggage loading.



We thanked our kind hosts, my brother and
my sister-in-law, who asked us to come back
next year.

We fondly said our good bye to my dear
Lao-san of Bangkok.

Little Chen thanked us for our gift ring and
money.

The time was 9 a.m.

It would take us 29 hours before we would
arrive at our Charlotte home from Hunan Road.

The return flights were shorter in time.

Ann ate some plane food and got food poisoning.

She was very uncomfortable in Chicago, where
we had a long, but unnecessary 4-hour wait
for a plane change.

She was completely well the next day though
without her acupuncture treatment.

An interesting note:

All our careful meal management in China paid
off whereas eating a meal on United Airline
caused the only problem we had throughout
the entire journey.

We didn’t realize at the time that green
salads were probably washed in Shanghai
caterer’s kitchen, where water is known for
its questionable quality.

Written by Jim Jen on October 26, 2003 in
Charlotte, NC